ラスト籠の城

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ご厚意で千秋楽のチケットを譲っていただけて、もう一度観ることができました。


その後のトークライブも参加してきまして、謎がずいぶん解けましたよ。




池谷さんの演じている存在を伝達だと決めたのはヤマシギだったとか!!!ぎゃふん!


そんで、ウミネコが段々籠(城)の中を把握していくにつれて池谷伝達の存在もしっかりしていくと。


成程ねー・・・




説明足りんわ!!!!!!!




しかもそのことを演者が全然分かってないってどうなの!!


まぁ、おかげで分かったこともいっぱいありますが。


劇中で一か月も時間が経ったのはきっと、籠(城)が変わらなければいけないという思いをウミネコが育てる時間が必要だったからじゃないかな。


うーん、答え合わせをしたら自分の中で急速に感動が冷めてしまったような。


でもせっかくなので、各キャラクターについていろいろ考えたので載せてみます。




ウミネコ


 観客側の現実と一番近い感覚をもつキャラクターだったのかな。そのせいか、心情的にあまりぐっとこなかったなぁ。物語の最初(芝居の最初という意味ではない)と最後で変化がなかったように感じたので。それでもやっぱり「人として生きるってことだよ!!」には泣きそうになりました。そもそも籠側が“思い込みのせいで身動きがとれなくなっている”ということが自分に当てはまりすぎで、『自分の意志で動き、そのために戦い、自由に生きられないなんて死んでるのと同じだろう』というあの叫びが刺さって仕方なかった。




・伝達


 一番咀嚼できなかったキャラ。トークライブで田所先生に解説してもらってやっとどういう存在か納得できた。あくまでもウミネコとつながっていて、彼が池谷さんの演じる存在(以下、池谷さんと表記します。ややこしいけどそれ以外にいい表記が浮かばないので。)の詳細を徐々に構成していったってことかな。だよね。であれば何故池谷さんが「この世界は変わらなければいけなかったんだ」と言ったかも理解できます。ウミネコが(深層心理であれ)そう思っていたってことだから。


では、それを踏まえた上でどうしても分からないこと。結局、池谷さんは自身の意思を持っていたのか?ということです。籠側の残った3人を探しているときに監視に向かって評価のことが嫌い、と言うけども、あれはいったい誰の気持ちだったのか?「みんなの心の中に存在する」のであれば、あの瞬間の池谷伝達は監視の心の中にいる伝達であって、籠側といるときの池谷伝達とはまた若干違う存在なんだろうか。と、ここまで考えて田所の凄さにまた気づいてぞくっとした。だって、それって観客側の現実と同じことじゃないですか。私たちだって目の前にいる人に対して自分の思い込みをもって接しているわけで、“その人本人”とはちがった相手像を見ているんですよね。言ったら“自分が見ているその人”は自分の思いがなければ存在しない訳で。うーんややこしい!もしそこまで意図して話を作ったのであれば田所を尊敬します。


でも、それにしては池谷さんが池谷伝達としてのキャラを持っていたので、なんだか消化不良です。池谷さんが誰かの思いがなければ消えてしまう存在で、相対している人物の思いを反映するとしたら、最後の笑顔→寂しげ→笑顔の変化はいったい誰の思いなのか。これがずっと分かりません。観たときは単純に池谷さんの思いだと思ったんですが、だとしたらいつから池谷さんは感情を持っているのか?あの最後の瞬間だけなのか?


自分がこんなにひっかかってしまうのはこう思うからです。


『もしあれが池谷さん自身の感情なのであれば、感情をもったキャラクターが最後に消えてしまうのはテーマと相反してしまうんじゃないか?意志や感情を持っている池谷さんがウミネコの都合で消えてしまうのは無問題なの?』


田所先生の解説を聞くまでは池谷伝達は独立したキャラとして解釈していたので、ひっかかりながらもあのラストにはかなり胸打たれたのですが、あくまでもウミネコの一部なのであれば逆にただひたすら笑顔のままのほうが好みです。池谷さん=“ウミネコを外に出す”という思いの具現化されたものが昇華するという解釈ができるので。初日はどうやら笑顔のままだったみたいなので、そのままでやればよかったのに。


・ヤツガシラ


 籠側でただ一人葛藤のなかったキャラだったんじゃないかと。あ、死ねと言われたシーンはもちろん考えただろうけど。ひたすら外の世界に憧れて、その衝動に従って行動した。純粋。関町にすごくあっていたけれど、この役を池田がやったらどんな感じだったのかかなり気になります。


 ヤツガシラの見せ場はやっぱり城側に捕らえられたところ、高らかに笑ってヒーローになるシーンだよなぁ。あの場面で、前にスルーしていた“ウミネコのヒーロー”をヤツガシラが真似ていることにひどく感動してしまいました。「自分の信念のために命をかける」ということがきっと鮮明に焼きついただろうなぁ。撃たれる瞬間、自分がその“信念”を持っていると彼は気づいていただろうか。




・刑罰

 刑罰はこの世界の間違い(狂気?)に気づいていながら、自分の得になるのでそのままにしていた、という印象でした。だからヤツガシラが歯向かってきたときに自分の安定を壊す要素として激しく苛立ち、忌み嫌ったんじゃないかなぁ。基本的に保身に走っている人。多かれ少なかれ誰でも持ってる部分をデフォルメされてる存在だったと思います。怖い。こんなキャラをさらっと作る田所が。




・モズ


 一番自分と重ね合わせてみてしまったよ。扉が見えてしまうシーンで本当に鳥肌がたった。それまでモズはグループ内で一番低い評価しかもらえなくて、自分でも気づかないうちにコンプレックスをもっていたんじゃないかな。だから外に出てうまくやっていける気がしないというのはとても説得力があった。外に出るために「戦った」ヤツガシラやこれから外に出ていくウミネコたちと比べて、結局外に出れない自分を弱いと言ったときにきっと彼は消えてしまいたいくらい心が折れていたと思うんですよ。でもウミネコが「残るのも自分の意志だ。(だからお前も人として生きているんだ)」と言った時、どんなに救われたかと思うと・・・あ、また泣ける。ううう。




・監視


 思うことは特になかったな。このキャラの存在意義がよく分からなかったですが、後半なにげに旅行記を持っている時間が長かったので、次に出ていくのが監視だったら面白いなーと思います。




・評価


  捕らえられた後の放送施設での評価がすごく印象に残ってますね。まだ何も知らない3人がどうやって扉をあけるかという話をしているときの笑いの堪えかた、うまいなー。ぞっとしましたよ。刑罰は籠側が出て行こうとすることに“憤る”というリアクションをするけれど、評価は全くといっていいほど関心がないんだよね。本当に籠側を同じ人間として見ていないというか、単なるゲームの駒の動き方を見ているようにしか見えなくて。なんなのあの人。




・ヤマシギ


 村上びいきも手伝って、私はヤマシギがウミネコより好きだったりします。爆


 このキャラについては10日の日記でちょろっと書いてるので簡単になりますが、要するに自分がこの芝居の中で一番憧れるキャラだったんだろうなぁと。モズはヤマシギやウミネコを「強い」と言っていましたが、ウミネコは根底に既に籠(城)のものとは別の価値観があったわけだからいいとして、ヤマシギは生粋だったにも拘らずサクッと町を出ることを決意して、行動しちゃうんですよね。それが「自分の意志の通りに生きる」というのを一番体現してたように思えました。切り替えが早すぎて現実感がないとか、実はヤマシギも池谷さんのような存在なんじゃないかとかいろいろ思ったんですけど、とにかく縛られているようで縛られていないフットワークの軽さが鮮やかで好きだったです。わー気持ち悪い!


 でも村上はもっと“難しいことわかんない”感を出してほしかったです。9日の高笑いキャラが一番しっくりきたなぁ。「俺だって外に出てえよ!」は10日のほうがよかったですが。




それにしても千秋楽が一番ぐずぐずだったのでは。特に村上。


今回一番いいとこなしだったかもなぁ。村上オタとしては残念です。


キャラふわふわのまま本番に入っちゃだめです。プロとしてね。


最初のほうはみんな丁寧にやろうとしてた感じはすごくあったんだけどね・・・。


あと、最近中澤がうぜーーーーーーーーーーーーーーー。


相方の林が良かっただけにホントもったいない。


大阪でPOISONに変えられてしまうがいい。


10日分で言いたいことは全部書いたので、本日はこれまで。


シュール5の皆さんお疲れ様でした。
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